100SHOES 2020 準備ブログ』  記: 曽田耕





3/15 靴の日
3/30 表現
4/15 ドカベンかよ
4/30 アンド
5/15 フフフふ々
5/30 詳しくはブェウで




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jb2022
5/30(土)詳しくはブェウで

おはようございます。
晴れ。空気澄んでいる。お日様ピカピカ。小鳥ぴぴぴ。
この日のために、2か月半にわたり日本が世界が一丸と成り大気汚染を抑えてくれたかのようです。 昨日は前祝の、古゛〜いんぽリスも飛びました。(新しい生活様式だって!?!?)

しかし本当によかった。
無事に開催出来て。2020になってから、今が最も平穏なタイミングなのではないか等と思っていたら、はじめ君からのメールにもそんな事が書いてありました。
また、いつもの展覧会なら余裕をもって生産を終える私ですが、なんだかんだで昨日の昨日まで生産していた。
生産が終わらないと、材料が足りるのか、機械の不具合が起きないか、落ち着かず、それもあって本当に良かったと今思うのです。晴れ晴れ、心まで。

本日12時OPENです。5/30(土)、31(日)、6/1(月)の3日間です。
いつもの通り、モーツアルトのケッヘル285と共にお待ちしています。
靴100足、とGamaとGraとGacha。そして鞄も少し。それからあの輸入雑貨とあのパンとあのコーヒーとあのクッキー。

ごめんなさい。相変わらず電話番号は公表していません。
迷子に成らない様に、事前に地図で調べてからお越しくださいませ。(墨田区 東駒形 2-3-11 です。) 住宅地です。お車の場合は、近所の有料パーキングをご利用ください。沢山ございます。
自転車でしたら、ガレージにとめられます。
又、お買い物の際、カードのご利用はできません。現金をご用意いただくか、徒歩3分の所にセブンイレブンがございますので、そちらのATMをご利用ください。

りもーとトてれが普及したそうですね。なべで。便利ー。すごーい。
でも。
在るのはリアルだけなんだよね。リアルは現場。分かるのがリアル。関われるのがリアル。リアルは気持ちいいな、と、(反動的に)考えずにいられない。人間からみたウイルスも病原菌も(人間の外から見ればそれは人間自身)、在るものは共存するのみ。そこに先ず真っすぐ向き合いたい。試行錯誤する、失敗するが、ふわ〜っとしたままよりE。キモチE♪
そんな2020、5/30の朝です。
そんな靴です(つながる?)。

皆さま、お待ちしています!!
最後にJBへのお付き合い、ありがとうございました。



5/15(金)フフフふ々

も、も、もしや。と思ったよ。
一昨日の作業中、急なひどい体調不良が襲われた。
吐き気あり頭痛あり目眩あり、目をつぶっていると少し楽だけど、それはみるみる悪化した。
こんな事は、10年前の新型フル―以来。も、もしやアレ?
それで取りあえず、作業を中断してお茶をのんだが、頭がぼーっとグラーっとツライので、家にもどり検温。熱は無い、よかった。とは言え横に成った。
波がある。目を閉じていた。
そんな時、すていほーむのフルメンバーは、なんとなーく温かいですね。寝ている横にきてゲームしたり、スマホいじったり。
自分は寝ながら、もしもの場合の暮らし方や、仕事の仕方の段取りをした。
そのまま12時、お昼に成った。
だいぶ体調はいい。食欲もある。味も!匂いも!分かる。
食後、念のため休養をつづけた。横になった。寝ていいんだー、って幸福感があったな。好きな事とは言え仕事は仕事なのですね。
3時に成った。このふた月におよぶコロナなべは、おやつがそして食事がゴーカです。子供たちは大喜び。今日のおやつはクレープ。前の日に粉花のおまゆが教えてくれたんです。
りんがクレープにアイスを入れてくれた。うまい〜、冷たくて〜。ん、もしや、と検温。微熱。ナナ度。や、は、り、なのか。
もう少し寝ていよう。
眠った。目が覚めたら、かなり良くなっている。検温。平熱!
うごける。よかった、よかった。試しに仕事場に降りて、お茶をのんでみる。それでそのまま5時までの1時間、途中にしていた作業のカタを付けたのですが、手仕事ってやっぱり本当にいいですね。 手を動かすほど、アタマが軽く空っぽになり、ミルミルミルミル回復していくのが分かる。みるみる昇るものはミルミル沈む。

おそらく、コロナなべヅカレって、やつですね。
自営だし通勤もないし、なにも変わらない日々、休むベキとか興味ないし、って思っていたが、それでもやはり大分日常とは違っていたんでしょう。
学生時代に、集団ストレスでいつも在った口内炎が、出来かけていた。シグナルは出ていた。
京子には、寝不足だと目に来るよね、とも言われた。
そうかもしれない。その前日は、すっごい早起きして夜まで、越県の不々要不々急の外出だった。

さーて、色々ありますが、100SHOESまで、あと半月と迫りました。
通常企画事の半月前なら、「すでに制作は完了した」とか言う私ではありますが、今回は遅れています。100足はもう出来ていると思うけど。
変な感じ。
はかどっているのか、手間取っているのか。
試作なのか本番なのか。よく分からない。
火曜なのか土曜なのか。
3月と思っていたが、5月だったり。
ノーストレスであり、ストレスフルであり。
時間の基軸がない。(今やこのJBが基軸かも。)
ひな人形に5月人形が乱入していたり。おダイリ様が降格して、最上にキンタロー。姫の座には?なんだ?
サビの来ないパンクロックのような。天地のないオールオーバーのような。
コロナなべの所為で変だと思っていたが、そもそも、ずっとそんな暮らしだっただろう、とも思う。自分も世の中も。コロナなべはただ、それを浮き彫りにした。してくれた。

当初の長期段取りからは、遅れているが、不思議なくらい気持ちは焦らない。
作業の合間に、ますます本を読んだり、散歩にいったり、畑とか、家の修繕とか、無垢里へ行ったり、映画みたり、それがあたかも(いや恐らく)必要な準備のように感じている。
『モモ』には色々書いてある。忌野清志郎の新刊にも。六曜社でコーヒーを飲む数学者のレポート、なんてのも正にこういうタイミングて届き、2度3度熟読。『13歳からのアート思考』もよんだ。とても面白かった。『イモ―タル』も面白くて2度読み。
靴は制作途中のものも在りながら、週明けに一段落つけます。
本当のお楽しみが、待っているからです。そうです、毎度毎度の大好物、空間づくり。今回はGのために壁も整えます。丸1週間はそんな時間に充てる。

コロナなべ、ピークは過ぎたのでしょうか?
そもそも、シコーテーシの不安カジョウ?
いやいや、第2派は、よりパワフル?
こんな中での100SHOESは、すごーく思い出ぶかーい事に成りそうですよ。
大きな流れのなかに小さな何気ない事が色々とあって、そう言った事こそが、すごく良い時間として記憶に残るんじゃあないでしょうかね。作為的に仕組んでも作れない。すごく楽しみじゃないですか。

JB2020も、早いもので、次回5/30が最終回です。
会期初日の朝ですよ。どんな世の中になっているんでしょうか。どんな会場になっているんでしょうか。
最終回のタイトルはご覧の通り。当初から(いや2年前から)決まっています。朝一番で(多分4時半あたり??)にアップしますね。おたのしみに。

万が一ですが、緊急事態的予定変更の際は、都度、ここでもお知らせいたしますね。彼らのように緊急事態だからこそ活発化したりして。フフフ。 彼らは彼らの不々要不々急があるらしい。フフフ不々要、フフフ不々急だな。
自分は、どうやって見るのか分かりませんが、この場合はあんのインスタでも発信いたします。soda studio an、ってぇやつです。何がどうでも、100足の靴は並びます。G含め、ベストを目指します。



4/30(木)アンド

今日こそ前々回からの話を着地させます。
そ、その前に、先ずひとつ定義いたします。
(まったくまどろっこしい、と言う大先輩の声が聞こえる。認める。タルい文章は自分自身だって好まない。学生時代、現代文の教科書のまどろっこしい文章に対して、下手だなあ、もっと簡潔に書けないの?って文豪に、青二才の上から目線。
このごろ変わった。まどろっこしい文章・良くわからない文章、そういう物にこそ引き込まれる、なんて思うようにもなった。
つまり、読者に親切でない文章、読者を突き放す文章、は媚びていない、だから信用できる、と。もはや信用できない「言葉」たるものををなんとか信用したい。
それとは別に個人的には、靴や鞄という具体物表現が共有された中での抽象表現としての言葉、とも思っている。
そのマ逆にも言えて、靴や鞄という言語外のイミフ表現に対しての言語訳。いずれにしても、精度を上げたい。ああ、こりゃあ、まったく簡潔でないよ。)

で、定義したいのは「うまくいっている」と言う言葉です。
ステキだ。ニーズに合っている。売れる。売れそう。評判がいい。まったく美しい。機能的。せんすイイ。かっこうイイ。オリジナル、模倣じゃない。刺激的。斬新、新しい。続きそう。環境にいい。時代に合う。気分に合う。魅力的。オサマリがいい。
そう言ったあたりをまとめて「うまくいっている」と、今日はいう事にします。平易な言葉には、こんなに下地のが要るんですね。

それでね。
新作発表するしないの事なんだけど、センスいいね、だけではうまくいかないんです。素晴らしいアイデアがある、だけではだめ。
潤沢な資金があるから、そのプロダクトがうまくいくわけではない。あつーいオモイがあるからいいんだ、でもない。昼夜問わずがんばった、でもない。
つまり、主体側の事だけじゃない。表現者側の能力だけポツンと存在してもうまくいかない。
受け取り手、いや、通りすがりぐらい―つまり社会かな―、そっち側の気運や気分と、まさかの連動が在る。
大きく見れば世界平和、社会不安だってその運動法則内。モトのカクが在り、社会の気分が在り、連動がある。

それでさ。
ミズマチ、あのアイデアは勿論もちろん自分だけが夢想していた訳ではないでしょう。
あの界隈をずっと色んな人達がこの数十年、気にしていたんだと思う。
でも、それではだめだった。そう言う人達がタッグを組んでも、だめだった。
そういう牛島神社界隈の人間とは全く別の、界隈をむしろ気にも留めず、スカイツリーだけを見ている、たまたまそこを通っていた人間たちの行動、気分、その群像が作用した。連動した。
自分は面白いとおもったわけです。そうかと思った。それで勝手に表現だってそうなんだな、とおもったんです。
何しろ夢想が、変な角度の流れで転がりはじめて、かなりの速度で動いている。つまらない夏の運動会もここには作用しちゃっている。そこが又面白くて。 この先、一年後、十年後、でそれがどう成ったかにも、勿論(むしろ)興味がある。ふふふ。

ポップアートの事をおもった。ポップミュージックの事をおもった。企業の事をおもった。議会の事をおもった。
そして、自分自身の近況に照らし合わせた。衝動が先ずあって、やっているという宣言、これダという発表、セットなんだね、と。表現を閉じた空間で作っていても、まだ表現未満。他者がいたとはねえ。
これに気づかされた昨今でありました。

いつでもどこにでも沢山の無限の表現のタネが転がっているんだろう。
クマが森の木の下でスクワットをしているような、エサの無い雪山を一匹のオオカミが旅するような、人が見ていない時の月のような。そんな衝動が。それで、それを誰かが目撃して表現となる。
これ、世の中を面白くしますよね。
2月の伊東への車中でふと反省し、3月にミズマチでピカリと来た、そういう話でしたー。着地できたー。お付き合いありがとうございますー。

画像は生産中のS12。
S12の靴型は、ここ数年間、ブタイウラにて二転三転していましたが、ようやく確定の見通し。達成感。安堵ー。



4/15(水)ドカベンかよ

新しく作った、小さい焼印、を早速Gに押してみた。
どこに押すか決めかねていたのに、いざ、焼かれた印と部材を手にしたら、あとは当たり前のように自動的にいい場所にジュ。
手はいつも助けてくれる。教えてくれる。楽しませてくれる。サンキュウ手。

さて、実は前回のブログ、途中だったんです。
あれを前置きにもっと進めて、そのさきの結論があります。
しかしあの日はあの時点で、作文のカサが結構バッテいたし、時間的にもですね、いい加減に本業の作業に復帰しないと、とか思ってあそこでキリをつけたのでした。
絵もそうですけど作文も、時間を要します。それはいい時間。楽しいからいくらでも続いちゃう。
幸せな事です。念のためネガティブに捉えてみるなら、欲求が鬱積しているのでしょう。
いずれにしても、ああなんて一日の短い事よ。
その楽しみをかなぐり捨てて、向かった本業もこれまた良い時間をもたらすしね。

受け身にマドを見て過ごす人が多い昨今。あれはどうも自分は。やはりブェウがいい。(注:ウェブではないです。)
自分だって、今こうやってマドを見て入力していますし、マドを全否定しているわけではない。道具のひとつです。鉛筆。ヨツ菱ハイユニ。
マドの優位性については、あれですね、9年前にも散々聞かされました。イザと言う時のために。最新情報。伝達のすべ。家族のために。
今もまた緊急事態とかで、きっと重宝なのでしょう。
そうそうつい先日の新聞にもありました、情報が素早く受け取れなかったコミュニティはウイルスが蔓延してしまった、と。
そうなんでしょうね。
どうなんでしょうね。
そのすぐ先の未来を、も、知りたい所。物語はずっと続いていますから。
同じく新聞記事で(少し前ですが)、上野公園の桜並木で時間帯ごとの往来はGPSでのデータによると、、、って。
おお、恐怖。なななんて恐ろしい。思いません?
凄い事になっています。おもろい事になっています。
技術の進歩はすごい。人間の鈍麻もすごい。関連していますね。

だから、やはり自分はいやですね。鈍麻は。
でも安全には役に立つ。確かに。個人の自由をとるか、社会の安全ととるか。ルソーからたどり直したくもなるが、でもそういう順路にしたくないんです。
もっとやさしく直感的に思考したい。又現代には現代ならではの要素があるし。まさにこれも鈍麻の事です。

例えば、手を動かして思考したい。作文したり、絵を描いたり、焼印押したり。
いつでも主体的に。で失敗も失言もする。そして反省。つまり進歩。安全に生きるための。
そこまで全部がセットです。長ったらしいが。それがいいのだ。
用意された範囲、知らない誰かに評価されてもひとッつも嬉しくないです、自分は。

作文、楽しいなあ。やっぱり、欲求不満なのかなあ。そろそろ本題をせねば。
この前の作文では、新作が罪を内包しているという一般論の中で、新作を発表していた時期があり、そんな開発をしなくなった時期があり、そして又新作や開発がもたらす新しさ楽しさがある、それで動き出そうとしたが頭が動きださず手から動きはじめて見た。
という所まで書きました。でも、実は鞄の新作も沢山やっていたし、靴も新作開発はしていたとも書きました。

新しい事をやる?やらない?、求めてる?求められてる?、という行ったり来たりの事。
新作の意義って??、とあたり前にぶれる年々月々。飽きもせず案外そんな中にいたのだけど、ハっとさせられた、ミズマチに!
前回、至りたかった結論はミズマチの事なんです。皆さん、ミズマチご存知ですか〜?

スカイツリーは9年前の余震の続く中で完成しました。うちは墨田区で、近所なんです。
地元はタワーでパワーを、なんて言って、誘致し、喜んで、でもそんなに地元には還元されなかった、とか嘆いて。
それでも、完成したスカイツリーは背が高いからでしょう、遠くからも見えます、それで近隣の繁華街からそれに向かって歩く人の流れが生まれました。
錦糸町からそれに向かっている人々の流れ。浅草からも同じく。誰も通らなかった路地を、少し着飾った人達が歩くんです。
それでこのたび、浅草駅からスカイツリー駅までの高架下を再開発している。お店をいれてテラスを作って、歩道をつないている。コレがミズマチ。只今工事中。既にいい感じです。この春完成予定とか。

そもそも東武線の高架下で高速道路の高架下でもあり、なんとなく陰っていたエリアですが、そこには川があり水門がありそして立派な立派な神社(牛島神社)と広い公園と木々。隣は隅田川。そのさきに団子屋。
その昔〜しムカシ、その高架下にはポツンどラーメン屋があって、それが無く成って別の店になり、それも閉店。
そのお向かいは、自分の知る30年間は一度も開いた事の無い店。F1という看板のパン屋。店の前は自販機群で実は愛用、していたが恐らく此度の開発によりいよいよそれも消えた。
自分はこの界隈がなんだか好きで、気にしていた。
この公園の桜は墨田公園よりも見事。その先の3差路もいい感じ。きれいにしたらいいだろうな〜、と。そんな中でこの再開発。ピンときました。


3/30(月)表現

そう言えば、次の新作は?と問われなくなって久しい。
毎年毎年3/15の靴の日に合わせて展覧会をやって新作発表をしていた頃があったんです。
当時は展覧会が終わるやいなや、次の準備をはじめていた。はじまる前からの年もあった。
新作の入口はたいてい、新しい構造や新しい機能。新しく買えるようになった素材。そう言ったものを持てる技術で具現化すれば、大体新しいものや見た事の無いものが出来上がった。
まず実態をつくり、履いて歩いてのテスト。必ず修正はあり、それを何度も数か月間繰り返すと、よりもっと見た事の無いものになってくれた。
それを経て、決定したら、本番制作、DM撮影、DM作り、告知。

定番の反対側のトレンドへのよく在る批判を気にかけつつ、自問した。ファッションとは違うだろ。確かめたい事があるんだ。
毎度発表後2年くらいは売れないって自分のパターンさえも観察の対象だった。

10年くらいそんな風にやっていた。
10年の中には色んな事があるが、その中でも、熟考ってのに問題意識が芽生えたのは有意義だった。
熟考のかかえる問題は、フレッシュな切り口の目減りで、それを肌で感じた。
それはある意味では大したものでもないし、別の意味で大いなるものでもある。
外部との仕事で、パパパっと完成させる経験を経る中で、その何とも言えない素敵さに何度も触れ、無視できなくなった。

そんなこんなで、気がついたら、靴の新作の発表をしていなく成って久しい。当然その事を問われなくなった。
鞄の方は、一方で、沢山の新作が日々生まれている。
日々の中でいつの間にか形になり、関数で価格が決まり、なんとなく並んで、いくつかは定番入りしている。
まさにパパパっとやっている。
100bags企画で全国巡回していた事も連動した。
靴の方だって、かつてのかつてオリジナルラインから廃盤にしたものを、ここ最近セカンドラインとして復活させたりもある程度やっていたが、そんな作業と相まって、いつしか靴の新作という考えが頭の辞書からなくなっていた。 新作など無くて当然という状態に落ち着いていた。

でも。
でもですね。先日の城さんとの伊豆ロングドライブのおしゃべりの中で、ふと何かが掘り起こされた。
城さんはそうは言っていないのだが、なぜか「つまらない」ってワードが漂ったように感じた。
ごくごく気軽なおしゃべりの中で気がついたら言っていた。「反省しています」。
楽しい事、新鮮な事、フレッシュな動き、賛否両論な状態。これって楽しい。これをやれていなかった、この頃。と。

そして、100SHOESが近い。
時間はない。
でも、そうだ、時間をかけないパターンも手の中にある。むしろベターだろう。
と思って、仕事場を眺める。
仕事場を眺める、その事だけに実はいかに時間がかかる事か!
ここに反省しています発言、の自覚がつまっている。
そんな連綿と続く日常の仕事に、突然の切れ目。材料の入荷が遅れたのだ。おお、見えざれる手よ。
すると、色々と点在しているもの達が目のレンズを通過している事を、脳が処理し始める。
そして、見つけた、わくわくするスケッチを。
とは言え、その日はそこまで。しかと直視する事さえもできない。そんなもんだ。
2,3日たち、まだ脳のやつはストライキ中。
そうだまずはその試作をなぞるのが良い、脳がストライキ中なら、手を味方につけよう。踏み出す一歩目はこれがいい。

そうやって、ようやく新作の試作が転がり始める。
一方で100SHOESに向けての生産が、快適にすすむ。
いま世の中がウッカリ不安定で、遊離したかのような、この時間のこの場所がオアシスのようだ。快適。
年単位で使っていなかった脳の領域、(使っていなくても快適と思っていたが)刺激されて中毒症状的、快楽的だ。表現にはコレが要る。
まだ脳のやつは、たいして乗り気ではない。
着手して、壁にぶち当たり、約3つの対応策が出る。それぞれに又壁が有り、その先が待っている。
そろそろどうやら、やつも乗って来たか?!

週末、試作はまた、暗礁にのりあげていた。思ったようには進まない。
がっかりだ。と同時に楽しみだ。見えざれる手、ありがとう。

また、夢を見ていた。試作の夢だ。
これを使って、この手順ならこう成る。ああ、逆にやれば、次の展開へがスムースだ。
、なんて、かなり立体的、具体的。
さあ、今日からその実実証証といこう。




3/15(日)靴の日

こんにちは!!
この度、とてもとても久しぶりにJBしてみますよ。
JBと呼ぶのは、10年前に準備ブログとして始まったからで、でも今回は準備ブログって内容でもないかもしれない。
それでJBとよんでいます。ソウルキングみたいだ。

2年前の100SHOESの時にはJBしなかった。単純に忙しかった。taneとか本づくりとかやっていた。
杏がインスタをやってくれたのでそれに甘えたし、今おもえばそんなこんなで、特段アウトプットするものが残っていなかったのかもしれない。
アウトプットの無い人の作文表現は、書く方も見る方もつらいですね。
と、一度開栓すると、今年はだらだらくどくど流れ出て来るようです。
ただ、それは読み手に取って、どうなのでしょうか?
鬱陶しいのかもしれない。
と、少し心配もする。
が、流れ出て来る。
と、考えた時に「この頃思いが伝わらないんだ。」とモゲさんが言ったのを思い出す。

それで少しの間作文するのかしないのか迷っていたのだが、表現なんだなと決着しました。
表現ならば、時代の事は二の次だ。(ビジネスならそのアンテナが肝かもしれないが。)
あとそれから、読み手としてあるレコーディングブログを少し前に読んで、楽しかったのも背中を押された。

さて、今日3/15は靴の日なんですよ。
しかも、ぴたり150周年。(イスズも同じ日で100周年らしいです。)
靴の産業が150年前に始まったんですね。
西村勝三が1870年、築地で靴工場をスタート。弾直樹は翌年王子で、のちに浅草の橋場へ。
これ、物語としては読んでいたのだけど、150年前の事と今自分がこうしてこう言う時代に靴を作っている事は、実感として繋がってはいなかった。
ところがデザインたるものへの興味から、『プロジェクトとパッション』を読みはじめ―難解だから何度も何週も読んでいるのだけど―、産業革命の事が出て来る。
そこからの興味で、共産主義もアンテナにひっかかる。
世界大戦、東西冷戦がからむ。資本主義も民主主義も改めて考えたりする。この辺は今のご時世も関連していて。
そんな具合で色々読んでいる中で、頻繁に出て来るワードが、フランス革命。
耳馴染みがよすぎてこれまでスルーしていた。
がつい先日いよいよ気に成って、手近な本を読んでみたら、これが面白くて200年前が一気に現代とつながってしまった。
現状には問題があり、乗り越えようとして、新しい問題がうまれて、我慢してごまかして考えてぶつかって、策略があって偶発がある。
いつでも問題含みで、今も私たちもその道の上。
あッたり前の事なのだが。
それで、200とくれば150だって、と言う風に立ち返り、靴の150年が言わば愛おしく我が事として感じられている今です。
この150もさっきの200と伴走している。
実際に城さんが少し前に作った靴産業ブックレットには、西村の名があり、小さな年表には曽田の名ある。
あーそうなんだな、この東京でね、と思う。
考えてみれば、さっきの弾直樹は翌年、と言うのはつまり1871で、自分のうまれた1971と馴染みがいい。これは余談。

さらに余談ですが年表ってオモシロイですね。
先日の新聞で核軍拡が特集されていて、その記事の中の年表の第一段目は、1962キューバ危機だった。
ここでキューバ危機が出て来るんだー、って思ったのです。
このワードも耳馴染みよいままでいるけど、一度手近な本をよんでみよう。

久しぶりに入力してみれば、いくらでも作文してしまいますね。
100SHOES初日の5/30まで、月二で書くつもりですよ。
明日から、まさに仕事場では100SHOES生産体制です。
DMは既に動いていて、まもなく出来上がります。
(ご希望の方はメールでお送り先のご住所ををお知らせください→sodako@kdr.biglobe.ne.jp。お店にDMを置いてきただける所もご連絡ください。)
2年に一度の100SHOES、おかげ様で楽しい企画に成っています。
今回も新しいチャレンジがありますよ。
しかも今回は100SHOES+G、です。Gですよ。
昨日東京では雪となりましたが、ガレージでは、柿の木の若葉が芽吹いています。
しばし、どうぞお付き合い願います。それでは又。